2025年05月22日

(10505)毒になる親について考える

「毒になる親」というワードが流行ったのは
20年くらい前になるかと思いますが
そこから「毒親」というキーワードは定着し
それに関する相談も日常茶飯事。
以前は娘の立場の方々からの
相談が多かったのですが
【最近は男女の性別は無関係に】
毒になる親についての相談が
後を絶えない状況となっています。
そして基本的には子どもの立場で
相談されることが多いです。

なぜ未だに毒親が絶滅しないのか…
あなたは考えてみたことがありますか?
私は20年の相談経験を通して
今なら言語化できそうなことがあります。
そして最初に伝えておきたいことは
【毒にならない親は
   ほとんど存在しないのではないか】
という私の推測になります。

世の中に、
毒にならない親はほとんどいないと
私が考えている理由は、
【子どもと親の性格の相性によって】
毒になるのかならないのか、
他にもいろいろとありますけれど
全体的なイメージとしては
子どもがある程度大人になったとき
【過去を振り返ったときの満足度】
これがすごく大きいと思うのです。

親のことが好きだとか嫌いだとか
ある程度判断できるようになるのは
早い子だと幼稚園くらいかと思いますが
遅い子は小学生に入っても
よく分からないままだと思います。
成人後も「そういうものだろう」と
本人が状況を肯定していれば
仮に毒があったとしても
その関係性では毒親になりません。

そもそも、
【生まれてから
  初めて経験する組織が
      家族というのは皆同じです】
そして柔軟性の高い子どもたちは
”その環境を当たり前として過ごし”
外の組織(学校など)を知りながら
徐々に自分の家族に対しての
評価を行うようになるわけです。

だいたい、小学校高学年くらいの
【思春期から青年期あたりで】
自分の家族と一般的な家族との
比較で気づくことが多いかと思います。
そしてそのあたりのタイミングで
”母親がどうであったかという評価も”
同時に行われると思います。
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*****まとめ*****
上記のように考えていくと
【過干渉かどうかの判断自体も】
子どものさじ加減と言いますか
その感覚や価値観次第になります。
たとえば、
なるべく放っておいてほしいタイプなら
いちいち干渉されたら面倒だし、
構ってほしがりのタイプなら
些細なことでも反応して欲しがります。
【同じことをしたとしても、
       その子ども次第で】
過干渉かどうかが変わるわけです。

たとえば、
自分本位な子どもであれば
”親を思い通りに動かせない場合”
一方的に毒親だと決めつけるでしょうし
親の正論になど
耳を傾けようともしないでしょう。
支配的で傍若無人な子どもなら
成人後も親を制御しようと躍起になり
【不都合が起きれば被害者ぶって】
周りまで巻き込むケースもあります。
これは過干渉とは意味合いがズレますが
子どもが親を「毒持ち」認定すると
こういうことが起きるということです。

そして不都合という点については
「親の説教」を聞きたくない場合に
それを過干渉だと言い張って
黙らせるような行為も考えられます。
このように子どものタイプによっては
通常の小言程度でも
毒親扱いされることがあります。

その逆に、何でもかんでも先回りして
全部親にやってもらいたい子どもは
”過干渉に対して幸福感を抱き”
成人後もそれを当然として
日々を過ごしていることがあります。
一般的には「マザコン」と言われますが
本人的には当たり前のことなので
【どのタイミングで
  親子離れをするものなのか?】
考えることすらないかもしれません。

これらのことから、
「毒親」と呼ばれる人たちの基準について
一般的にどうかということもありますが
”子どもからの評価次第で変わります”
ですから、
どんなに素晴らしい人だとしても
とらえ方や見方をを変えることで
毒親に思えてしまうということです。
大切なことは、毒を持った親を責める
子どものポジションに立つことではなく
【その親から卒業しようとする
     自立心を育てることです】
そこに気づけることが必要かと思います。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。
posted by whereabouts長谷 at 07:40| Comment(0) | 人間力アップ

2025年05月17日

(10504)会話のキャッチボールをイメージする

前回の、会話の目的に引き続き
「雑談ができるようになりたい」というケースも
考えてみたいと思いました。
アスペルガー傾向を持つ人たちが
どうして雑談できないのか?
何を話したらいいのか分からないと言いながら
【一方的に好きなことばかり
    話す人も多いのはなぜか?】
なんだか矛盾していますよね(;^_^A
そのあたり、深堀してみたいです。

特にコミュニケーションで困っていない人は
会話のキャッチボールを当たり前とし、
それができない人を理解できませんし
当事者も「なぜ自分にはできないのか?」
理解できていないことがよくあります。
例えば、会話をするときに共通している
当事者の勘違いを3つ説明してみます。

【人より勉強ができるのになぜ?】
いろんなことに詳しくて好奇心もあるし
たくさんの情報を持っている
ものごとに興味のなさそうな周りの人でも
会話するのは自分よりも上手なのが
不思議でならないと思う人や
羨ましいと思う人がたくさんいます。

【愛想よくしているのになぜ?】
話しかけられたら誰にでも平等に
きちんと対応しているつもりなのに
なぜか他の人にはみんな笑顔で話しかけ
当事者には笑顔なく対応してくるふうに
とらえていることが多いです。

【話すことができるのになぜ?】
他の人よりも上手にしゃべることもあるし
詳しい話ができることもあるのに
あまり上手に話していない周りの人の方が
なぜか会話が盛り上がっていて
自分が軽んじられている感覚に
陥ってしまうこともあるようです。

これらについて、
実際にできていることもあれば
”当事者自身が思うほど
   うまく行っていないこともあるので”
一概に言い切ることはできませんが
それぞれにポイントがあります。
■会話は視覚から吸収することができない
■自分を鏡で見てみると分かる
■会話は話すスキルだけでは成立しない
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*****
会話のキャッチボールという言葉は
世間でよく使われている言い回しになりますが
特性を持つ当事者が無自覚の場合には
”自分はある程度できているよ”
自分を疑っていないケースも多々あります。

ですが、現実のキャッチボールでは
次のようなことが起きているのだと思うのです。
【相手からもらったボールを
       その場に投げ捨てて】
【他の所から自分の好きな
        ボールを選んできて】
【投げたいものだけ投げている状態】

たとえば相手が、
好きなファッションの話をしてきたとして
一応はニコニコその話を聞きますが
”それについて何の感想も述べずに”
すぐに自分の好きな話に切り替える。
こんな流れになっていないでしょうか?
自分を俯瞰して見るのが苦手な人の場合
こういったやりとりを見落としていることがあり
自分がうまくやれていることが
【相手に
  合わせてもらっている
       おかげなのだと】
気づいていないこともよくあります。

雑談がしたいと思っていて、
キャッチボールになるようにするには
【相手が
   どんなボールを投げてきたのか
         意識することが大切です】
そしてそれについて
”しっかり観察するために、
    分からないことなどを
      相手に質問していきます”
その会話のやり取りがキャッチボールです。

これができるようになるには
やはりかなり練習が必要になることなので
すぐ上達するのは難しいと思いますが
本気で人と関わりたいのであれば
”小さなステップを設けて”
少しずつ上達の道を進んでみてください。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。
posted by whereabouts長谷 at 12:10| Comment(0) | 発達障害

2025年05月15日

(10503)会話の目的を考えてみる

アスペルガー傾向の強い人たちは
コミュニケーションが苦手という特徴を持ち
人間関係に悩んでいることが多いです。
相談事例の中でよく出てくるのは…
■会話がかみ合わないと言われてしまう
■雑談で何を話したらいいか分からない
■思っていることがうまく言語化できない
このようなことになります。

興味の幅が狭い当事者たちなので
【なんでもすぐに忘れてしまう】という
周りの人からの困りごともよく聞くのですが
会話の中で忘れてしまうことがあるとしても
それ以外の理由も知っておかないと
当事者に対して一方的な決めつけになるので
良くないだろうなぁと思います。

たとえば、会話がかみ合わないときに
想定されるいくつかのことでは、
■話の意図自体が理解できていない
■必要な情報だと思って
   補足情報を増やしすぎてしまう
■あれこれ話しているうちに
   自分の言いたいことばかり言ってしまう
つまり
【最初から興味が
   なかったわけではなく】
話しているうちに
【脳内に膨大な情報が
    沸き上がった結果】
会話がかみ合わなくなってしまうようです。

そういうときに、
「どうせ私の話には
    興味がないのよね」なんて
突き放される当事者は
どんな気持ちでしょうか。
それも1回や2回ではなく、会話のたびに
”自分が思ってもいないことを
       そうだと決めつけられて”
彼らはどんな思いで過ごしているのでしょう。
そう考えると、とても悲しくなってしまいます。

当事者の中には、
「ちゃんと覚えなくちゃ」と自分なりに
頑張ろうとしている人もいますから
アスペルガーだからと言って全員が
他人に1mmも興味を持たないし
他人の話を聞くつもりがない…
というわけではありません。
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*****当事者の方へ*****
自分には悪気がないのに
否定されてしまう体験を積むのは
本当に悲しいことだと思います。
ただ、周りの人たちだって悪気はなくて
”そう感じてしまう場面だったのは
        間違いないわけですから”
今回は一つ、タイトルのとおり
「会話の目的」について考えてみましょう。

それで、私がこれまで関わってきた
当事者の声を集めて総合的に考えると
【会話したいのではなく、
    自分の脳内を見てほしい】
というイメージで私は解釈するようになりました。
当事者が他人に対して
興味がないということもあるかもしれませんが
”他人の考えには
   興味を示さないことが多く”
自分の考えがどういうものであって
それを聞いた目の前の人がどう思うか
”自分を評価してほしいようなイメージで”
会話している風に私には見えています。

【だから会話が成立しないのです】
当事者自身は会話しているつもりでも
目的が相手と異なっているために
会話のキャッチボールにならないのです。
たとえば、「会話の目的」というのは
仕事であれば業務の改善点かもしれないし
プライベートなら好きな食べものかもしれません。

仮に、当事者が好きな食べ物について話す
場面を想像してみますと…
当事者は次々に脳内に沸いた情報を言語化して
一方的に話し続けてしまうかもしれませんし
そのうちお気に入りの店の話や給食の話、
お店の場所の話と会話が変わっていきます。
【そして相手は
    好きな食べ物の話ができません】
すでに会話の目的が変わっているために
もう相手は話す気力すらないかもしれません。

これを知ったからと言って
雑談ができるようになるわけではありません。
だけど知らないままやり過ごすよりも
”自分の苦手を把握することによって”
これからの人とのかかわり方の中で
心がけには変化があると思います。
あれこれ提案はたくさんありますが
混乱しないように今回は一つだけ。
まずは【目的を見失わないこと】
これを念頭に置くようにしてみてください。

※この記事は、主観が含まれます。
 全員に当てはまるものでもありません。
 複数の視点で読めるように心がけていますから
 一つの回答に絞られないこともあります。
 生き方のマニュアルとしてではなく
 あなたが生きるうえでの参考になれば幸いです。
posted by whereabouts長谷 at 07:13| Comment(0) | 発達障害