2020年01月21日

「毒親」から解放されるには

前回、私は母の悪口を書きました(^^;
私のことを、ひどい人だな…と
思う方もいることでしょうが
今回はおさらい的に
【毒親からの解放】について
記事にしてみたいと思います。

以前からのブログを読んでいる人や
個人的に私を知る人たちは
既に分かっていることですが
私はいわゆる「毒親」育ちです。

毒親の定義は複数ありますが
私の場合には大きく
・母の気分で無関心
・母の気分で過干渉
・母の枠組みが全ての基準
といったことがありました。

細かいことをあげるとキリがなく
長くなってしまうので
そこからどうやって脱却したか
その後どう考えているかを書きます。

まず、私は成人するまで待ちました。
これには前例があって
私の素行が悪かったこともあり
【母に尾行されており、
 探偵を雇って監視しようとしました】
そのため、未成年だと
私の周囲の人たちにも迷惑がかかるので
成人して気持ちの準備が整った時点で
【家を出ました】

これが第一段階です。
どうしても実家で暮らしていると
【精神的な自立が妨げられ】
娘の立場である以上は甘えが出ます。
そこで【物理的な距離をとり】
「私の足で立とう」と決心しました。

次に、幸か不幸か…
【息子が病気で生まれたことが
       家族の結束を高め】
基本的には夫婦仲を良好に保って
母が口出しできない状況を作りました。
おそらく母は、いつも
アルコール依存症の夫を持つ
自分の結婚生活と私の生活を
比べていたのだと思います。

母親というものは、
育児経験者という立場から
いちいち口を出そうとします。
それに対して口出しさせないために
【自分の家族の愚痴を
   母親に言いすぎない】ことに
気を付けたのが第二段階です。

表面上の愚痴はこぼしても
家庭内の詳細を実家に伝えないことが
【夫婦関係を混乱させない方法】です。

そして、これはたまたまですが
【私がカウンセラーになったこと】
第三段階の一部かもしれません。
母にとっては無意識の領域で
コントロールしやすかった私が
【何を言っても
   感情的にならなくなった】
というのは重要な点かもしれません。

それと同時に、
これもたまたまかもしれませんが
【自由な子育てをした】ことです。
昭和の人たちの子育ては
「〜しなければいけない」の量が
膨大で抑圧的で義務だらけです。
それを押し付けられて育った私なので
子どもにそうならないよう
常に気を遣っていたかもしれません。

小さい頃から
・自分でできることは自分で
・なるべくこき使う
・選択肢を提供する
・意思表示を指せる
・たくさんおしゃべりをする
といったことは気を付けていて
間違った選択だとしても
取返しのつくことなら任せ、
取返しが付かない場合は
話し合いに持ち込んでいました。

私の小さい頃には
私の成績や実績ばかり見ていた母が、
孫の成績を見たとしても
彼の人間性にも目を向けるようになり

優しくしてくれる人の少ない母には
【優しく口の上手い孫が救世主】にも
思えるのかもしれませんね。
グレなくて良かった、ってことです(^^;
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さて、私のやってきたこと
一連の流れが正解かは分かりません。
ただ、今の私は幸せですし
一時は親に殺意を抱き、呪い、
全ての人間を敵視していた私が
今ここまで落ち着きを取り戻せたことは
これまで私を支えてくれた
全ての人への感謝に繋がります。

そして親についても
当時のような感情は消えまして、
かといってなかったことにはできず
【許せることと、
   許せないことを区別し】
親にも、軽蔑しながら感謝しています。

お互い人間ですから。
欠点もありますから。
それでも育ててくれました。
そこだけは否めません。
私自身が大した人間じゃないのに
人のことばかり、責めていられませんね(^^)
posted by whereabouts長谷 at 06:39| Comment(0) | 心の健康を保つ