2019年02月13日

「かわいそう」という感情

日本人は特にそうなのかな…
と思うのですが
「かわいそうね」という言葉を
使う人っていますよね。

サラッと言うのではなくて
心からじわっと言う感じの
「かわいそう」という意味です。

それは、
【共感の域を越えています】
こうした愛他意識などは
文化や成育環境の影響を受けています。

カウンセリングの場面では
同情ではなく共感するのですが
もしカウンセラーが
同情してしまったとしたら
【職域を超えた
   対応をしてしまい】
それでうまくいくことも
あるとは思いますが
ほとんどのケースで
【悪化もしくは共倒れ】
なってしまうでしょう。

そして、今は昔と違って
協調性を必要としながらも
【個人主義の時代】ですから
(特に都会では)
同情する人もされる人も
多くの人たちが
・自分の足で立ち
・自分で意思決定をし
・自分をアピールする
ことなどを求められます。

ですから、
たとえ家族関係であっても
「かわいそう」の領域で
助け合っていると
【社会に適応できなくなる】
可能性があるのです。

かといって
見棄てればいいのか、
ということではなくて
【自分のことは自分で】
というスタイルが大切です。

家族同士って
甘えが強くなりがちですよね。
お互い、頼ってしまおうと
するのは当たり前のことです。

けれども
【社会との関わりは
    避けられない】ので
みんなで話し合って
どこまで寄りかかるのか
線引きをしておくと良いです。
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また、他人であっても
その場の感情で判断せずに
【援助して良いかどうか】
しっかり考えてください。
時に「かわいそう」というのは
【相手に失礼な場合があります】

というのも、その人自身は
自分をかわいそうだなどと思わず
自分で頑張ろうとしているのに
「かわいそうな人ね」と
頼んでもいないのに
先回りして援助されたら
【成長を阻害されて】しまいます。

私たちは、
協調を保ちながらも
【一個人として生きる】覚悟が
現代には必要なのだと思います。

あくまでも
私個人の視点ですから
意見として受け止めて
いただけると幸いです。
posted by whereabouts長谷 at 07:32| Comment(0) | 人間力アップ
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